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助けるには、お金がいる

資金難で支援打ち切り
, WFP日本_レポート

【日本人職員に聞く】大室直子さん(バンコク事務所)母として、支援者として

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国連WFP職員の仕事は、難民や災害の被災者に食糧を届けるだけではありません。民間企業や政府と交渉し、支援に必要な資金を得るのも、大切な役割の一つです。今回はバンコク事務所で民間企業や団体との連携を担う、大室直子さんに話を聞きました。

大室さんは、もうすぐ4歳になる男の子のお母さん。出産後、支援にかける思いがどのように変わったかも語ってくれました。

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大室直子さん

大室さんが、民間連携の仕事を意識したきっかけは2011年、国連WFP職員として初めて赴任したセネガルでの出来事です。当時は学校給食支援などの現場で働いていました。

セネガルを含むサヘル地域は、毎年のように干ばつに襲われます。その時も深刻な食料不足の地域が広がってしまい、それまで続けていた支援の1つを停止する事になりました。需要調査などで優先度を分析した上での、やむを得ない判断でした。

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サヘル地域は毎年のように、厳しい干ばつに見舞われる(写真はモーリタニア)Photo: WFP/Alan Mouton

集落へ打ち切りを伝えに行ったのが、大室さんでした。「支援できなくなる、と直接伝えるのはつらいです。村長は理解してくれましたが、周りの住民は怒り出し、取り囲まれて怒鳴られ、混乱状態になってしまいました」。何とか無事に逃れましたが「私は困っている人を助けに来たはずなのに、なぜ彼らを悲しませ、自分も怖い思いをしなければならないんだろう」と悩んだといいます。

そして思いついたのが「お金がないからだ!」という結論でした。

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セネガルでの大室さん。2012年ごろ

「ファン」を増やす

その後、大室さんは出産を経てバンコク事務所へ赴任しました。国連WFPはユニリーバやケンタッキー・フライド・チキン、マスターカードといったグローバル企業から寄付を受けていますが、こうした企業の意向を把握し、資金を提供してもらえるよう交渉するのが仕事です。

「セネガルでは支援の受け手が目の前にいて、成果がすぐに見える点にやりがいを感じました。今の仕事は、国連WFPを知らない人に現場のことを話し、私たちの『ファン』になってもらえるのが楽しい。1人の『ファン』が別の人を動かし、私だけでは到底作れない、支援の広がりを生み出す可能性もあるからです」

出産で強まる使命感

バンコクでは、息子さんを保育園に預けながら仕事を続けています。タイで別の国際人道支援機関の仕事をしているパートナーは平日、国境に近い地域で勤務し、家族がそろうのはもっぱら週末。「出産後、できるだけ家族一緒にいたいという思いが強まりました。国連WFPの赴任地の中には家族を連れていけない地域もあります。自分のキャリアだけを考えると制約が多くなり、悩むこともあります」と、率直に本音を話します。

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一方で、「給食支援の重要性や、子どもが1日1食しか食べられない事態のつらさ、母体に宿った子どもが2歳になるまでの1000日間に、十分栄養を確保する大事さなどは、出産して初めて自分ごととして、心から納得できました。仕事の使命を痛感し、もっと支援をしたいという気持ちも強くなりました」

やりたいのは、「本当に苦しんでいる人を助ける」ことだと話す大室さん。「この軸がぶれないよう、今の自分にできることをやります」と力強く語りました。

【おおむろ・なおこ】

京都府舞鶴市生まれ。中学時代から好きなテレビ番組は「選挙速報」、英語教師の父と政治談議を戦わせる社会派だった。

その頃、ラジオ番組や本で緒方貞子さん(元国連難民高等弁務官)と明石康さん(日本人初の国連職員、カンボジア暫定行政機構特別代表などを歴任)を知り、国連機関で働くことを志す。国際公務員の解説本を読み、本に出てきた専門家に直接電話したという。

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ラオスにて。2016年ごろ

「30歳くらいで国際公務員になるには何が必要かを考えたら、5年後、10年後に何をしているべきか、自然に見えてきた」。高校生でニュージーランドに1年留学。日本の大学を卒業後、米国で大学院を修了し、感染症対策を専門とする公益財団法人に就職、ザンビア事務所に勤務した。

2011年、外務省が若手の日本人を国際機関に派遣する「ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)」として国連WFPセネガル事務所に赴任。ちょうど30歳だった。