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苦難の人々に手を差し伸べる~シリア緊急支援

, WFP日本_レポート

シリア北東部での大規模な避難を受けて、国連WFPは緊急支援を行っています。

10月初旬のある水曜の昼下がり、国連WFPの職員イサム・イスマイルは、アル・ハサカーからカミシュリーに車で戻る道中、空を見上げました。その瞬間、彼はシリア北東部で新たな戦闘が始まったことを告げる最初のミサイルが遠方で打ちあげられるのを見ました。

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国連WFP職員イサム・イスマイルはシリア北東部で緊急支援にあたっています。Photos: Omar Balan
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数千の人が戦闘によって家を去りました。Photos: WFP/Alan Ali

彼は攻撃を受けている町の人々がどのような目に遭っているだろうか、どのような気持ちでいるだろうかと考えました。彼の記憶は2012年、故郷のダマスカス郊外で起こった戦闘の勃発に遡ります。家を逃げ出す母親、父親、兄弟姉妹の姿や、迫撃砲から逃れた束の間の安心感、そしてすべてを失い避難しなければならなかったという心の痛み・・・。

その日の夕方には、イサムは数日内に何千人もの人々が爆撃から逃げるに違いないと考えました。彼は事務所にいる30人の部下たちと合流し、緊急支援を開始する必要がありました。

障がいを持つ息子を助けるため

イサムが車のアクセルを踏んだちょうどその頃、数マイル離れたラスアルアインの町では、未亡人のカディジャが、障がいのある息子ムスタファを車椅子に乗せて急いで家から逃げなければならないところでした。「爆発音が始まったのは、ちょうど私が家族のために食事の準備を終えたところでした」と彼女は言いました。「私たちは一口も食べられませんでした。」

通りすがりの車が、カディジャとムスタファを自宅から79km離れた避難所に運んでくれるまで、カディジャは息子を乗せた車椅子を7時間以上押し続けました。彼女が考えていたのは、息子を安全な場所に連れていくということだけでした。

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車椅子の息子ムスタファを乗せて一日近く歩き続けた後、カディジャはホストコミュニティの避難所に辿り着きました。 Photo: WFP/Alan Ali

「私が家で最後に見たのは、夕食が準備されたダイニングルームです。何も持たずに逃げなければなりませんでした」と彼女は言いました。

73歳での避難~不安が尽きない

テルアビヤドでは、73歳のサルハ・モディと12人の家族が、爆弾が降り注ぐ中を逃げました。

続く混乱の中で、彼らは安全な場所に連れて行ってくれる車を見つけるのに苦労しました。何とか避難のための車に乗ることはできたものの、何百人もの避難民がいる中、車に詰め込まれ、その道中は困難なものでした。到着した時、彼らには温かい歓迎もなく、安全な避難場所も見つけられませんでした。「寝床はありませんでした。私たちは野外で寝ざるを得ませんでした。」

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73歳のサルヤは、もう家に戻ることはできないのではないかと心配しています。Photo: WFP/Alan Ali

その後サルジャと家族は、NGO職員により避難所に連れて行ったもらい、ようやく安心することができました。「私たちが今欲しいのは、食べ物のような基本的な生活必需品だけです」と彼女は言います。

避難所で落ち着くことができるようになると、サルジャの家族は家が破壊されていなければという希望を話しましたが、サルジャは、もう家に帰ることはできないのではないかという恐ろしい考えでいっぱいになっています。

夜を徹しての支援活動

イサムは2008年にダマスカスで国連WFPに入職し、その後アレッポ、ホムス、イドリブといった戦闘の激しい地域で働いてきました。しかし、カミシュリーの多くのWFPスタッフは爆撃を間近に経験したことがありませんでした。

スタッフとその家族の安全は優先事項です。彼らが必要な場合はすぐに移り住める安全な家が準備されており、重要なスタッフのみWFPの事務所で働くことが期待されています。「私は、同僚全員の安全と心理的健康に関し、大きな責任を負っています。彼らが、恐怖と避難に直面している受益者に、確実に支援を届けるモチベーションを維持するためにこれは重要なことです。」

カミシュリーのWFP事務所では、アル・ハサカーとアル・ラッカで毎月50万人以上の人々に食料支援を実施しており、この人数は増えることが予測されています。イサムと彼の同僚は、砲撃が起こっていた場所と避難民が向かっている場所を地図化するため、24時間体制で働いています。

より多くの人に食料が届くよう、また避難で移動せざるを得ない人々がすぐに食べられる食料が物資に含まれるよう、分配計画は都度調整されています。そしてこれを実現するため、倉庫作業員は夜を徹して働きました。

「私たちは、避難している人たちに何としてでも手を差し伸べねばならないのです。彼らが移動するに従って、私たちも移動します」とイサムは言います。「私たちはほとんどがシリア人であり、すべての人たちが人道主義者なのです。私は、我々の友人・隣人・家族がこの恐ろしい状況の中で、涙をこらえる姿を見たくありません。ですから、この過酷な時に、人々に奉仕し、食料を届け、彼らを支えることは、とてもやりがいがあることなのです。」

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10月9日に戦闘が始まって以来、WFPが緊急食料支援を届けた人は218,000人に達しました。Photo: WFP/Alan Ali

これまでに17万人以上の人々が戦闘から逃れ、アル・ハサケとアル・ラッカの家族や友人、または共同避難所の元に身を寄せています。

WFPは、現地のパートナーと協力して、クハディジャ、ムスタファ、サルジなどの避難所にも支援を届け、更に避難民受け入れ世帯にも、必要に応じて追加の食料を提供しています。アル・ハサケの地方自治体は、避難所として学校を提供し、新たな避難民、そして食料・衣服・その他の必需品を受け入れています。

10月9日以来、国連WFPは218,000人を対象に緊急食料支援を実施しました。その中には、アル・ハサケの88,200人とアル・ラッカの129,700人が含まれています。今後は、この地域の580,000人を支援することを目指しています。

シリアで再び大きな苦難に直面する人々を支えるため、皆様のご支援をお願いします。ご寄付はこちら: https://www.jawfp.org/oneshot